両軍は戦い疲れ、平氏は沖に源氏は浜へと分かれ、夕暮れ近い波間をにらみ合っている。
そこへ、平氏から、女官を乗せた一そうの船が近づいてくる。
船の上には手招きする一人の女官と、竿の先に立てた赤字に日の丸を金箔で押した扇。
義経は家来に「誰か、あれを射落とせるものはおらぬか」と問う。
「それには下野(栃木県)の住人那須与一宗高がよろしゅうございましょう。
空飛ぶ鳥も、三羽ねらえば、二羽は必ず射落とすほどの名人でございます」。
こうして呼ばれた与一は、まだ二十になるかならないかの小柄な若武者。
「射損じては御大将の名誉を汚すことになります。
どうかお許しください」と辞退したが、許してはもらえなかった。
死を覚悟した与一は、馬にまたがり海に乗り入れる。
そして、与一の矢は見事に扇を射抜き、両軍からどっと賞賛のどよめきがわき上がった。
そして、与一の矢は見事に扇を射抜き、両軍からどっと賞賛のどよめきがわき上がった。
「屋島合戦画帖」高松松平家歴史資料 香川県歴史博物館保管
What's
GENPEI YASHIMA KASSEN?
GENPEI YASHIMA KASSEN?
平安時代の末期、「源氏」と「平氏」という武士の集団が争いを繰り返していた。
その古戦場の一つが香川県にある屋島周辺であり、この地で行われた戦いを「屋島合戦」という。
この二つの武士の大軍が戦うようになったきっかけは、朝廷の政権争いにある。 その発端の一つは、1156年におこった「保元の乱」。 この時、後白河天皇と兄である崇徳上皇が対立し、源氏と平氏も兄弟や親族が分かれて戦うことになった。 その結果、崇徳上皇は讃岐(現在の香川県)に流され、瀬戸の海をのぞみ恨みの日々を送ることとなる。 1159年には、「平治の乱」がおこり、源氏は敗退し平氏の世となるが、やがては平氏が追われる立場となる。 そして、歴史の表舞台に源頼朝と義経という源氏の兄弟が登場する。 源氏の大将である兄の頼朝、その兄のために平氏を滅ぼしていく弟の義経。 一ノ谷、屋島、檀ノ浦と、当時では斬新的でダイナミックな奇襲戦法で、戦の天才として歴史に名を残す義経。 その義経が、もっとも輝いていたのが、この戦いの日々であった。
平氏は屋島に内裏を構え、目の前に広がる瀬戸内海から、敵が押し寄せてくることばかりを考えていたが、 1185年2月19日思わぬ陸地から源氏の火の手が上がった。 ふいをつかれた平氏はあわてふためき、大軍と思い込んで船に乗り込んでしまう。 その時の源氏の数は150騎、平氏は数千と言われている。 敵が少数であることに気づいたときには、内裏は燃え落ち、守りの要である総門は源氏の手に落ちていた。 そこで、海に平氏、陸に源氏と分かれての源平合戦が繰り広げられる。 反撃に出た平氏との戦いは壮絶で、数々の戦の名場面もこの地で生まれる。 不眠不休で駆けて来た義経軍は疲れ果てて眠り、平氏軍では夜襲の相談がされるが、先陣争いをしている間に夜が明ける。 ここでも戦いの神は義経に味方した。戦いの果て、平氏は志度へと移り反撃を考えるが、その作戦も義経に見破られる。 こうして、西へと落ちて行った平氏は翌月の3月24日檀ノ浦で滅亡した。
その後、頼朝は鎌倉幕府を開き、明治の世まで700年近く武士が政権を握ることになる。この戦いが、日本史上屈指の大転換期となったのだ。
この二つの武士の大軍が戦うようになったきっかけは、朝廷の政権争いにある。 その発端の一つは、1156年におこった「保元の乱」。 この時、後白河天皇と兄である崇徳上皇が対立し、源氏と平氏も兄弟や親族が分かれて戦うことになった。 その結果、崇徳上皇は讃岐(現在の香川県)に流され、瀬戸の海をのぞみ恨みの日々を送ることとなる。 1159年には、「平治の乱」がおこり、源氏は敗退し平氏の世となるが、やがては平氏が追われる立場となる。 そして、歴史の表舞台に源頼朝と義経という源氏の兄弟が登場する。 源氏の大将である兄の頼朝、その兄のために平氏を滅ぼしていく弟の義経。 一ノ谷、屋島、檀ノ浦と、当時では斬新的でダイナミックな奇襲戦法で、戦の天才として歴史に名を残す義経。 その義経が、もっとも輝いていたのが、この戦いの日々であった。
平氏は屋島に内裏を構え、目の前に広がる瀬戸内海から、敵が押し寄せてくることばかりを考えていたが、 1185年2月19日思わぬ陸地から源氏の火の手が上がった。 ふいをつかれた平氏はあわてふためき、大軍と思い込んで船に乗り込んでしまう。 その時の源氏の数は150騎、平氏は数千と言われている。 敵が少数であることに気づいたときには、内裏は燃え落ち、守りの要である総門は源氏の手に落ちていた。 そこで、海に平氏、陸に源氏と分かれての源平合戦が繰り広げられる。 反撃に出た平氏との戦いは壮絶で、数々の戦の名場面もこの地で生まれる。 不眠不休で駆けて来た義経軍は疲れ果てて眠り、平氏軍では夜襲の相談がされるが、先陣争いをしている間に夜が明ける。 ここでも戦いの神は義経に味方した。戦いの果て、平氏は志度へと移り反撃を考えるが、その作戦も義経に見破られる。 こうして、西へと落ちて行った平氏は翌月の3月24日檀ノ浦で滅亡した。
その後、頼朝は鎌倉幕府を開き、明治の世まで700年近く武士が政権を握ることになる。この戦いが、日本史上屈指の大転換期となったのだ。
「屋島合戦画帖」高松松平家歴史資料
香川県歴史博物館保管
香川県歴史博物館保管
「屋島合戦画帖」高松松平家歴史資料 香川県歴史博物館保管
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| (社)香川県観光協会 | 〒760-8570 香川県高松市番町4丁目1-10 TEL.087-832-3377 | http://www.21kagawa.com/ |
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| 庵治町建設経済課 | 〒761-0187 香川県木田郡庵治町6393-5 TEL.087-871-6114 | http://www.town.aji.kagawa.jp/ |

